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甲府地方裁判所 昭和36年(わ)9号 判決

被告人 水野留吉

大一三・六・六生 農業

主文

被告人を懲役三年に処する。

ただし本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

押収した鉈一丁(昭和三六年押第七号の一)は没収する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和二二年現住居の水野まき方の養子となつて妻妙子と結婚し、以来同女との間に三男をもうけ、農業に従事するかたわら土工等をしてまじめに生活していた。ところが昭和三三年夏ごろ、遠い親類筋に当り、近所に住むうえに同じ仕事仲間である関係上懇意にしていた石工の森沢伸造が、妻妙子と情交関係を結ぶに至り、その噂を耳にするようになつたが、おとなしい性格の被告人は、その確証を得るまではと自重し、強いて妻を追及することもせず、むしろ養母まきにいくじがないとたしなめられるくらいであつた。ところが同三五年二月右二人が被告人方で密会しているのを目撃したので森沢に対して以後被告人宅へ出入することを固く断わり、妙子に対しても厳重に注意を与えたが二人は依然として関係を絶たずそのため森沢に妻帯させれば不純な関係も自然なくなるだろうとの周囲の者の意向もあつて同年四月森沢は結婚した。しかし森沢は、その後も被告人にかくれては執ように妙子に情交を求め、かかる醜交を絶とうと努めていた妙子にその都度拒絶されるや被告人夫婦に棒とか草刈鎌等で乱暴し、障子を叩き壊わし、また家具類を投げつける等の暴行に及ぶことが度重なり、はては被告人は腕に三針縫う傷害まで負わされたこともあり、これを取りしずめようとする警察官に対して悪罵をあびせ遂には刃物を持つて立ち向うほどで、同年一一月二一日には「今夜はうんと暴れてくれるぞ」と言いながら被告人宅へ入りこみ、一升びんを土間に投げつけ、仏壇を投げつけて毀し、障子の骨を打ち砕いたりし、その勢いに恐れをなした被告人一家は他家へ難を逃れてその夜を過し、消防団員が出て警戒にあたるというありさまで、被告人夫婦は今度森沢が暴れ込んで来たら殺してしまおうと話し合うに至つた。翌二二日窪晃等常日ごろ森沢の面倒をみている者数人が同人宅へ赴き説諭したが、かえつて反抗するありさまであつたが、翌二三日周囲の者の熱心な説得により森沢も被告人宅へは以後絶対に足を入れないと誓うに至つた。しかし森沢はその後も右誓約を無視して被告人宅をしばしば訪れるので被告人は、このままではいつかは再び家庭を破壊されることあるを恐れ妻子の強い希望もあつて、遂いに長年住みなれた土地を離れ森沢の手のとどかぬ東京方面へ移住して平和な生活を求めようと決意するにいたりその準備として同三五年一二月一五日ごろには自宅裏の被告人方全耕地にも相当する畑六畝を四〇万円で売却した。

昭和三六年一月一一日夜、被告人夫婦、養母まきおよび三男正三等四人が自宅十畳間でこたつにあたつていると、森沢がビールびんを持つて現れ、「今夜は金子のやろうをうんと殴つてくれる」と言い残して出て行つた。すると間もなく前記窪晃の母が来て、森沢が金子をひどく殴打したことを知らせ、被告人一家も他へ避難するよう勧めたが、被告人は他家への迷惑を考え自宅に留まつていたところ、森沢は再び被告人宅へ来て「変なことを言つたら徹底的にやつつけてくれる」などと言いながらビールを飲み二回も右窪宅のようすを見に行つたりし、午後一〇時ごろうつ伏すように横になつた。まきに帰宅するように注意されると、起き上がり、ひそかに妙子の足を指先でつまみ、外出するように合図したが同女はこれを嫌つて被告人のかたわらに行き洗濯物の取りかたずけをした。森沢はそのようすを見て「頭に来た」と言いながらやにわに空きビールびんをこたつ板に叩きつけて割りその破片を「この畜生め」と言いながら右妙子に投げつけた上十畳間と土間の間に他はこれまでに自ら破壊したゞ一本残つていた障子を打ち砕き、長き六〇センチぐらいの親骨の破片(昭和三六年押第七号の二)で同女の後頭部を殴打した。被告人はこれまで怒りを押えてこたつに当つていたが、右の如き森沢の仕打に、妙子の身体に対する危険を排除しなければならないという気持と、これまで耐えぬいて来た森沢の度重なる不貞と暴行に対するうつ積した感情の爆発とが重なり、憤激の結果同人を殺してしまおうと決意し、こたつを出て「おまえ何をする、帰つてくれ」と言いながら森沢に近づくと、同人は手にしていた障子の破片を投げ捨て、被告人の胸倉をつかんで殴打しようとしたが二人を引離そうと妙子がその間に入つたのでそのすきに被告人は自宅上り口の床下にあつた刃渡り約一三センの鉈(昭和三六年押第七号の一)を持ち出し十畳間に引返し、やにわに右鉈をふるつて森沢の右足に切りつけ、同人が前に倒れるやその頭部顔面等を続けざまに約一〇回切りつけ、よつて翌一二日午前四時四〇分ごろ塩山市上於曽一三七二番地塩山病院において、これに基づく頭蓋骨および脛骨の割創ならびに骨折を伴つた頭部、頸部、顔面等における多数の割創からの失血と脳挫傷により同人を死亡させ、殺害の目的を遂げたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第一九九条に該当するので所定刑中有期懲役刑を選択しその刑期範囲内で被告人を懲役三年に処し犯情憫諒すべきものあるを以つて同法第二五条を適用し三年間右刑の執行を猶予すべく押収の鉈一丁(昭和三六年押第七号の一)は本件犯行の供用物件で被告人の所有であるから同法第一九条第一項第二号第二項によりこれを没収し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文により全部被告人に負担させるものとする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人の本件行為は盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律第一条第一項第三号第二項に該当すると主張するのであるが、被害者森沢が、被告人の妻妙子がその意に従がわないので、被告人方の障子を破壊し、その破片で同女を殴打したため、被告人は森沢に退去を求めたが同人はこれに応ずることなく、かえつて被告人にたゝきかかつたので、妙子が中に入り両名を引離そうとしたすきに、鉈を持ち出し森沢に切り付け同人を殺害したことは前認定の通りで、これは妻および自己の身体に対する森沢からの危険を排除する意味を含んでいるもので形式上一応同法第一条第一項の要件を充しているごとくであるが同条項はその事情に照し殺傷行為が相当と認められる場合において適用さるべきであると解すべきところ右の事実および前認定のごとく被告人が森沢の側へ行く際は既に殺意を持つており、障子の破片もなげ捨て素手で向つて来た森沢に鉈を持つてし、先ず足部に切りつけ、ひるむ同人の頭部を約一〇回に亘りめつた打ちに切りつけておる事情からすれば、当時被告人が森沢のこれまでにおける前判示の如き仕打から憤激しておつたもので同情すべきものであるもこれを考慮するもなお被告人の右殺害行為は相当であつたということは困難で同法第一条第一項に該当するということはできず、また右の状況からして被告人が当時ある程度の恐怖ないし興奮をともなつていたものであることは看取できるが、これがため右殺害行為が宥恕に値するものということはできないので同条第二項もこれを適用するに由なきもので弁護人の右主張は採用できず結局被告人の前認定行為は過剰防衛行為であると解するを相当とする。

(裁判官 降矢艮 西村康長 田中清)

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